【書評】
『作家とつきあう』
出展がみつからないのだが、たしか、大江健三郎かだれかが、「本をよむなら全集をよめ。と、小林秀雄がいったから、まず小林秀雄の全集をよんだ」みたいなことをかいていた。なるほど、とおもい、大学生のとき、川端康成と横光利一の全集をよみました。それから、小林秀雄の全集をよみました。
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夏目漱石とか、太宰治など、文庫本でほぼすべての小説がそろう作家がいて、けれど「全集をよむ」ということは、ただその作家の作品すべてをよむ、ということとはちがう体験であります。全集をよむということは、その作家と向き合ってすわり、ひたすら作家の話しをきくという体験のようであって、作家は、かならずしも自分に向けその話しをしてくれているわけではないが、その場所にはかれと自分としかいない、よみすすめる中に、徐々にその作家の人間性へおぼろに触れてくるような、かれとつきあうというようなとくべつな体験であります。ひとりの人間の思想と変遷とを追体験するような、自分とちがう場所に生きた人物と、握手するような、そういう体験であります。
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こういうとくべつな体験を手にする時間は、人生においてそんなにゆるされていないのではないか。自分の場合、いちどめは大学生のとき、当時のお友だちが郊外の大学で教育実習を行うのについていって、その日の実習が終わるまで芝生でひまをつぶしていたたしか二週間くらいが皮切りでありました。還暦の前後に、にどめがあるとよいとおもっている。そのときには、まず庄野潤三か島尾敏雄か、小沼丹の全集をよみたいとおもっております。