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「イワン・デニーソヴィチの一日」/ソルジェニーツィン (新潮文庫)

【書評】

「イワン・デニーソヴィチの一日」 (新潮文庫)

 作者:ソルジェニーツィン
 出版社:新潮社
 発売日:1963/3/20


『人生の小春日和・秘密の小部屋』

 司馬遼太郎がすきな、何んだか渋い小学生であった自分は、中学生にあがるととつぜん外国文学に夢中になりました。きっかけは、入学祝いに父からもらった五冊の岩波文庫であったが、その五冊をよむまえに、兄にすすめられた《イワン・デニーソヴィチ》をよんだ。すっかり外国の物語、まずはロシア文学に惹かれてしまいました。
当時英語の個人塾に通わされていて、しかしじっさい通わず、渋谷の大盛堂の何階だかわすれたけれど岩波文庫のあるフロアで、階段のそばの高い書架へならんだ赤色の帯の背表紙を、これは一生懸命指でたどっていたことをおぼえております。舩坂弘、などという名前もしらず、あるひとにとってみれば、それが丸善であるような、自分にとってみて「外国文学」というこの言葉の醸す胸のおどるようなあまい気配は、いまはない大盛堂のビルのほこりっぽい雰囲気へ刻印されている。

       *

 中学一年生にとって、《イワン・デニーソヴィチ》のなにがおもしろかったかといって、なにより作中に登場するスープやパンがおいしそう、ということでありました。それから、ふしぎに明るいイワン・デニーソヴィチの心象にやはりふしぎな心の惹かれかたをして、これはいまおもえばあたらしい文化との出会いであったのかもしれません。なにしろ、実生活のうえではパンのきらいな子供であったから、作中のまずしい食事へ馥郁とした薫り高さをかぐことは、きっと子供らしい憧憬抜きにはつじつまがあわない。
ゴールズワージーではないけれど、「人生の小春日和」といったものをかれの収容所生活からかぎとり、その瞬間から、自分にはなにか秘密の小部屋が胸のうちにかくされてそっとひらかれたような気がしております。おそらく、だれもがもつこの己れの部屋を、ふとのぞきたいという際には、だれにとってみても《イワン・デニーソヴィチ》は最適の一冊ではないか。無論この小説の社会的な意義に関しては無視できない重たさのあるものと認識しつつ、どうしても、シベリアの吹雪くような描写が、フォーレの弦楽五重奏二番のようなあたたかみを感覚させて、シシュポスの神話のような労働は生きることそれ自体へのなつかしさを喚起させる。自分には、この小説がそのようにおもいだされるのであります。

 

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