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「檸檬」/梶井基次郎

【書評】

「檸檬」

 作者:梶井基次郎
 出版社:新潮文庫
 発売日:2003/10


『感性が印象をうらぎることの意味』

 もともとカップヌードルがたいへんすきなのだが、最近はさらにすきである。進化が著しいと感じている。勿論、醤油味も欧風チーズカレーもミルクシーフード味もおいしいが、ふつうのシーフード味がすきであります。同種の製品で、日清以外でも、サッポロ一番の《和らー》とか、TOPVALUもあたらしい味を出しており、いまではおいしいものがたくさん店舗へ並べられております。個人的な趣味でいうと、カップヌードルの《シーフード》、《シンガポール風ラクサ》、《ラタトゥイユ》、《和らー》では《博多 鶏の水炊き風》、TOPVALUでは《アヒージョヌードル》など、とくにすきだ。

 《和らー》でいうと、《能登海老汁風》か《津軽帆立貝焼き味噌風》はおいしそうだ。《博多~》はどうかな? そうおもっていたら、じっさいたべてみると(前者ふたつもおいしいけれど)《博多~》をとても気に入りました。TOPVALUは、坦々麺もおいしいけれど、《オニオングラタン》や《グリーンカレー》は必ずおいしいであろう、《アヒージョ》は、カップ麺とあうのかな? そういうふうにおもっていたら、(無論前者もおいしいものの)《アヒージョ》へ牡蠣ソースを垂らすのが絶品であるという結果に出あいました。《ラタトゥイユ》にいたっては、そもそもトマトがすきというわけではないので、手を出していなかったのが、たべてみるとたいへんおいしい。つまり、印象と感性とのギャップの話しであります。

 梶井基次郎がカップヌードルみたいだというのではなくて、ギャップの話しであります。ある世代には、トーマス・マンであったり、福永武彦であったりしたのだろう存在が、自分の際には梶井基次郎でありました。文学ずきな少年少女はすべからく梶井をとても尊敬していた。尊敬、というか、文学における個人的かつ象徴的な存在、そういう作家でありました。

 梶井の顔と文章とのギャップは有名な話しだとおもいますが、風貌だけではなくて、《檸檬》という画数の多いタイトルも、ページをひらくとインクが多量に消費されていそうな威圧的な紙面も、そこでつらつら述べられる結核患者梶井の沈鬱な吐露も、すべてが重たい指向性を醸していると感じられる。あるいは、なかなか食指ののびない作家であるとおもわれますが、よんでみると透明感のある清冽な短篇小説である。こういう本を、青春時代ではなくて、もっと後年よんだりよみ返したりする体験とは、いったいどのような体験でしょうか。

 よく、梶井の小説は詩であるといわれる。ボードレールと比較されたりもいたします。もし、梶井の小説が詩であるとしたら、それはおそらく、伊豆というこの隔離されたような半島のそのさらに山奥の、そのさらにわき道からわき道をえらび、わき道を辿った先きへようやく品よく待ちかまえたように建築されたしずかな木造の、その入り組んだ構成からのびた廊下のもっともつきあたりにある小さな部屋へ正しく逼塞した作者から、なにより開放された自由をいちばんつよく感じとるからである。それは、湯ヶ島をおとずれたとき、のんびりとした青いそらへまず迎えられることと同じ理屈であります。

 梶井基次郎のギャップとは、粗野な容貌や逸話と、紡がれる文章の繊細さとのあいだに横たわっているだけではなくて、陰鬱な文字面から手足の伸びきった自由が溢れてくるその若々しさへ驚かされるところにもある。印象をうらぎる感性へ胸を衝かれるというわけであります。

 梶井の人生は、不意に中断されたようなところがあって、つねに晩年を生きながら死ぬまで青春を抜けきらなかった痛ましさがあり、こういう小説を歳をとってからよんでみると、じつは己も同じ人生を歩んでいるということに気がつくのではないでしょうか。つまるところ、たえず感性は印象をうらぎる。印象をうらぎる機能のことを感性と呼ぶからであります。詩をよむとき、だれかの評を参考にすることはわるいことではないとおもわれますが、他者の見解と自己の見解とはかならず一致しないため、あるとき他者の見解へより深い理解とともにきっとすこしの違和感をおぼえる。けれど、そのとき自己の見解を誤りとする謂われはないし、他者の見解を侮る必要もなく、自分がその詩をよりいっそうすきになったのだとそのようにかんがえればよいわけであります。

 だから、梶井の小説をよむという体験は、自分の人生をよりいっそうすきになることの謂いだとそのようにおもわれます。

 

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