アラ還世代のための書評サイト

「《春風馬堤曲》」/与謝 蕪村

【書評】

「【《春風馬堤曲》】与謝蕪村 :岩波文庫(《蕪村俳句集》に収録)など」

 作者:与謝 蕪村
 出版社:岩波文庫
 発売日:1989/3/16


『切なさと、収斂されていくいちまいの絵』

 この全篇にわたりたたみかけるような切なさは、なかなかたとえようのないものであって、ト短調交響曲ではないが「突きすすむ哀感」というか、それをとりまくまるでいちまいの絵のような時間が、しずかに滲むように胸に沁みます。
蕪村といえば、萩原朔太郎《郷愁の詩人 与謝蕪村》があって、はじめての方にはおすすめです。朔太郎の解釈は独特で、正確さというより朔太郎の喚起するイメージが伝わりやすく、蕪村を個人的に理解するのに入りやすいとおもっている。

 これきりに小道つきたり芹の中
 路絶て香にせまり咲茨かな

 こういった、心地よい孤独感。しんとした、背すじののびるような自由とか、

 絶頂の城たのもしき若葉哉
 牡丹散りて打かさなりぬ二三片
 稲づまや浪もてゆへる秋津しま
 月天心貧しき町を通りけり

 あふれるようなロマンスの香り、情景のあざやかさ際立つ筆致とか、

 葱買て枯木の中を帰りけり
 住吉の雪にぬかづく遊女哉

 独特の抒情、これらが、蕪村の真骨頂といえるものであります。こんな情感をつめ込んだ、まるで落下する抒情が抒情へ呼応するような詩句の連鎖、連なりが《春風馬堤曲》というひとつの物語である。白黒のサイレントみたいにお手軽ですから、人生のお供に、ぜひおすすめいたします。

       *

 なお、蕪村の到達点について文章をみつけたので、以下引用となりますが転記しておきます。

 「(前略)
廿四日の夜は病体いと静に、言語も常にかはらず、やをら月渓をちかづけて、《病中の吟あり、いそぎ筆とるべし》と聞るにぞ、やがて筆硯料帋やうのものとり出る間も心あはたゞしく、吟声を窺ふに、

冬鶯むかし王維が垣根哉
うぐひすや何ごそつかす藪の霜

 二句吟じたのち、やや時間があって、(……ときこえつゝ、猶工案のやうすなり。しばらくありて又、)
辞世の句、

 しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

そう詠んで往生した。
なお、蕪村を追悼した弟子月渓の句、

明六つと吼て氷るや鐘の声

 その前がきに、蕪村が「白梅の一章を吟じ終て、両眼を閉、今ぞ世を辞すべき時なり夜はまだし深きや」とそう述べたという逸話が紹介されている。
(中略)
白梅の一句には、吟じられる傍らにて書き留められた、月渓の手になる懐紙が残されている。そこにはこうある。

  白むめのあくる夜斗と成にけり

「白むめ」は「しら梅」であるから、意味上の変化に隔たりはない。助詞のちがいによって、几菫の残したかたちのほうがやや哀切な詠嘆をおび清潔である。とはいえ、

 白む めの あくる 夜斗と 成にけり

 こうなると、もはや情緒的な芳香の残像は彼方に消え失せ、横たわる蕪村の、衰えた視力と、白々とする視界と、動物的な呼吸とだけがとり残される。蕪村は、死の床にあって、ただ己の死を観賞し、またその感想を述べたにすぎない。
ここから「今ぞ世を辞すべき時なり」の述懐までは、殆ど一足跳びである。まるで、昇天するように漂白された澄みきった世界である「しら梅」よりも、「白むめ」の場合、生涯二道を極めた大趣味人たる蕪村にして、死ぬまで蕪村でありつづけたといえるだろう。だから、「初春」は、相も変らぬ余剰の世界であって、暮れなかったものはなにも言祝かれた年だけではないという、蕪村の胸中秘された一篇の物語すらあらわれる。
(中略)
 冥界に下る調べの、「故郷春探し行々て又行々/楊柳長堤漸くくだれり/矯首はしみて見る故園の家黄昏/戸に倚る白髪の人弟を抱き我を/待春又春……」春に埋め尽くされて、また春は暮れている、そうした黄昏を生き抜いたひとの飛躍する「しら梅」の句は、蕪村に蕪村の不意に訪れた到達点をみている。しかし、死の飛躍の有りかなしかは、いずれにしてみても完成された生の結果であるにすぎない。(中略)日本の将来文芸のみちは、この薄明からほのぼの伸びている。」

書評を見る

PAGETOP
Copyright © アラ還 Books ~本好き、集まれ~ All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.